人の在り方
学びとは
生涯学習という言葉がある位、人間は学ぶ生き物だと感じている。
学んだ知識を子孫に伝え続け発展するためだろう。
私は特に知りたいという欲求がつよい。
私の場合は根本に『なんでなんだろう?』と言う問いから調べたりしてしまう。
子供の頃にある『なんで?なんで?』の様に答えのない様な事柄を一生懸命に考えてしまう。
私は『学び』というものを定義している『勉強』と『学び』この二つは大きく異なる。
『勉強』は記憶する事。勉強においては人が関与しない事柄である。
例えば読書・教科書を写す、インタネットで検索は勉強である。
『学び』は人の話を聞き感動する事であり勉強した事を人に伝える事が学びである、学びとは人から人へと伝わった時の事を指す。
勉強した事は忘れてしまいがちだが、学んだ事はなかなか忘れないものだ。
そして人と人との繋がりがあるので成長へと繋がっていく。
だからと言って『勉強』じゃなく『学び』ばかりに専念すればいいってものでもない、なぜならば『勉強』が木の根っこの部分となるからである、立派な根を張らなければ太い幹も、多い茂る葉っぱも育てる事はできないからだ。
根が立派なら多少の風や雨が降ったとしても立派に立っているだろう、勉強という根を持ち、学びという幹を持つ、そうする事で人生に沢山の葉や花が咲くことだろう。
その葉や花の事を人々は幸せと呼ぶ。
人の心の成長と幸せは勉強と学び無くしてはありえない。
大切なことは目的
穴を掘って、掘り出した土で掘った穴を埋める、そしたらまた穴を掘って埋める。
全く意味を見出せないこの行為には目的がない、想像しただけでも苦しいことだろう。
目的がないということは本当に辛いことである。何かを行う時には大体は目的がある。
歩く時にはコンビニに行くって食べ物を買う、というような目的、歩くために歩く、っていう人はなかなか居ないだろう。
具体的な物事の場合は大抵の人は目的を持ってやってるだろう
しかし、物事の内容が大きくなるほど人は目的が見えなくなっていってしまうのだ、なぜなら大きい物事ほど目的も抽象的な表現になっていってしまうからだ。
そして、目的と思っていることは実は目標だったりする、
目的とは在り方なのだ。
人生の目的は?
と聞かれたらあなたは何と答えるだろうか。
仕事が大切だから仕事が目的です。
家族が大切だから家族が目的です。
趣味のために生きてます。
様々なことが人生の目的になるだろう。
しかし、実はこの全てが目的ではないのだ。
どのように生きるか、というのは目的ではなく目標達成するための通過点なのだ。
人はみな、『どう生きるか』という手段ばかりに一生懸命で『なぜいきるか』ということを考えない。
ゆえに歩くために歩いてるという状態なのだ。
だから何をやっても楽しい時は幸せを感じるが楽しいことが終わると、寂しいく幸せは終わったという気持になる。
大きな大きな目的が定まってないから何をしていても何処か虚しく苦しいのだ。
では一体人生の目的とはなんだろうか?
それはただ一つ。
全人類共通なのである
『幸せに生きる事』
この目的のために人は生きているのである。
幸せに生きるために仕事をするのである。
幸せに生きるために家族と過ごすのである。
この目的を理解していない限りどう生きるかに一生懸命になってしまう。
まず最初に『幸せに生きる』事を決める事。
そこからどう生きるかを考えればいいのである。
そうするとやる事とやらない事がはっきりと別れてくるだろう。
幸せになる事が目的なのだから幸せになれそうにない事はやる必要がないのである。
たとえば甲子園に行く事を目的にしている高校生がいたとする、甲子園とは目的の部分になるがどのように甲子園に行くかが大事になってくる。
練習の内容ではいけないかもしれないし頑張ってもいけないかもしれないが、目的がしっかりしているのでどんな事も甲子園のためなら頑張れてしまうものである。
甲子園に行きたい人がバスケ部に入るだろうか?答えは『入らない』だ。
しかし、働くと言う事に関すると、目的がない人が沢山いる。
故に好きでもない仕事をに毎日いっているのである。それは仕事に対して目的がないからである。
なんのために仕事をするのか?自分に問いてみよう。
食べていけないからしょーがなく・・・なんとなく・・・みんな仕事してるから・・・よく考えてほしい人生の目的は幸せになる事なのだから仕事をして幸せにならなくてはいけないのだ、自分が幸せになる仕事をしなければならないのだ。
甲子園に行きたいのになんとなくバスケ部に入ってなんとなく練習しているのと同じ事なのだ。
幸せになる事。
そして全てに目的をもって生きようではないか。